「ここは完全会員制なのですよ」
幸田に連れられてやってきたのは、名古屋の繁華街から少し路地を奥に入った場所。
古びた雑居ビルが立ち並ぶ通りには表通りのような賑わいは無く、陽が暮れてから暖簾を出すような店が並び、知らなければ決して入り込む事などできないような雰囲気があった。案内された建物も、外観は無機質なコンクリートで塗り固められた、なんとも殺風景な三階建て。だが、入口を入り、下り階段を降り、薄暗いトンネルを通り抜けると、出口には異世界が広がっていた。
「わぁ」
思わず息を呑んだ。
芝生の広がりに、松などの低木が配置された和風庭園。広くは無いが趣があり、思わず目を見張る。
こんな都会のド真ん中に。
呆気にとられていると、白いレースのいかにもメイドといった雰囲気の女性が寄ってきた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
お、お嬢様?
恭しく頭を下げる女性。
か、可愛いっ!
少しはにかんだような笑顔、派手過ぎない化粧、品の良い物腰。
メイドカフェのメイドさんって、もっとアニメとかゲームとかを意識したド派手なメイクに色気ムンムンのキワドイ超ミニ衣装だとかって思ってたんだけど。
なんだ、この清楚なメイド様は?
ニッコリと笑いかける相手に幸田は慣れた口調で名前を告げる。
「茜お嬢様に、緩お嬢様ですね。お帰りをお待ち申し上げておりました」
言って、右手を奥の建物へと伸ばす。
木造二階建て。雨風に打たれたその姿は古びていて、だが古きモノ特優の厳かさを漂わせており、時間が百数十年ほど巻き戻されたかのようだ。
案内された室内は、和風建築に洋風調度品といった和洋混在で、どちらにも統一されていないその不定形さが世界を歪め、手を伸ばせば確実に触れられる現実とは違った異質な雰囲気を醸し出している。
現実ではない世界。異世界。
庭に面した一室へ案内され、椅子を引かれて腰かけた。襖で仕切ることのできる室内は、だがすべてが開け放たれ、他の客の様子も見える。
「締め切って個室にする事もできますけれど」
問われ、緩は、俯き加減で左右をチラ見した。
見知った客はいないようだ。
個室にしてゆっくりと過ごすのもよいが、この開放感も堪能したい。
「このままで構いません」
緩の言葉に、メイドは一礼をして一度下がった。
「すごい建物ですね」
「旧華族の建物を移築したそうですわ」
「庭もすごい」
「手入れが行き届いていますね。繁華街の喧騒が入ってこないように設計されているので、まるで本当に明治時代あたりにでもタイムスリップしてしまったかのよう」
「こんなメイドカフェがあるなんて、知りませんでした」
「一般には知られていませんからね」
言って、ふふっと笑う。
「上流階級でも、メイドカフェブームが流れているんですよ。でも一般人と同席するような安っぽいカフェは嫌。メイドを視姦するような男性客など見たくもない。毳々しいだけで品の無い化粧を施したメイドになど接客されたくはない。そもそもメイドとは格式高い上流階級の人間にのみ仕える存在だ。色気を意識した衣装に身を包んだメイドなど玩具に過ぎない。などなど、あれこれ注文を付ける方々も出始めまして」
「はぁ」
でも、メイドカフェって、それが楽しみなんじゃないの?
「御自宅に使用人を住まわせている人々にとっては、一般的なメイドカフェのメイドさんには違和を感じたのかもしれませんね」
「でも、そもそも家にメイドがいるのなら、なんでわざわざメイドカフェなんかに」
「実際に家事全般などをお願いしている使用人は、癒しを提供してくれる存在とはまた違った存在ですからね。家政婦さんなどになりますと、まったくの別物ですし」
「はぁ」
よくわからんなぁ。
「それに、どうせなら徹底的に雰囲気を味わいたい。そんな声で作られたのがこのお店なのです。メイドに扮した店員も、みんな研修を受けた人ばかり。日雇いのバイトなんて一人もおりませんのよ」
「よく来るんですか?」
「聖美様に数度連れてきてもらっただけです」
「え? じゃあ、今日は?」
「実は今日も、聖美様にお願いして予約を取って頂いたのです。衣装の手伝いをして頂いている方のためだと説明したら、喜んで取ってくださいました」
「聖美様って、たしかあの霞流のお屋敷の」
「私のご主人様のお一人ですよ」
そう言って、少し眉を下げる。
「私も普段は使用人として働いている身なのですよね。そう考えると、こういった場所に来るのは複雑な気持ちです」
「あっ、そうか」
幸田さんはまさにプロのメイド。
しげしげと見つめる緩の視線に、幸田は肩を竦めてみせる。
「私のはお仕事です。『萌え』とはまたちょっと違いますね」
「でも、メイド姿のいつもの幸田さん、とっても可愛いですよ」
「あら、ありがとうございます」
頬を紅く染めて照れながら、少し身を乗り出す。
「それで、どうします?」
「え?」
「お着替え、なされます?」
「あ」
部屋の隅に置いた紙袋へ顔を向けた。幸田に作ってもらった衣装。まだ仮縫いの部分も多いが、座っているだけなら使えない事は無い。
左右を見ると、他の客は様々だ。
緩や幸田のように、普段着、とは言っても、ブランド物でそれなりにお洒落をした現代服の人もいれば、明らかにタイムスリップしたかのような、羽の付いた帽子を斜めに被った女性とタキシード姿の男性。
「お召し替えのお部屋に行きましょうか?」
「う、うーん」
緩はしばらく思案の末、首を横に振った。
「やめておきます」
「あら、どうして?」
衣装を着てカフェを楽しみたいが為にここに来たのではないのか?
目を丸くする相手に、緩は苦笑する。
「確かに雰囲気は素敵ですけど、この服とは合わないかも」
緩が持っているのは、好きなゲームの世界に出てくる人物の衣装。砂漠の世界を舞台にした世界観を投影した衣装は、この和洋折衷には似合わない。
「あぁ、それは、そうですね」
幸田は納得し、そうして申し訳なさそうに辺りを見渡す。
「確かに、アラビアンテイストではありませんでしたね。ごめんなさい。そこまで気付かなくって」
「いいんです」
緩は慌てて両手を振る。
「だいいち、中東風の衣装が似合うメイドカフェなんて、滅多にありませんから」
「あら、でも今はいろいろとありますのよ。中庭をイメージした店内とか」
「それも素敵だとは思いますけど」
緩は庭へ目を向ける。
「こういう雰囲気も大好きです。趣があって」
うっとりと周囲へ視線を巡らせていると、背後から品の良い声が掛けられた。
「お待たせいたしました。お嬢様」
|